複業を活用してスキルと信頼構築を加速!
社会起業家 川端元維さん
鎌倉サステナビリティ研究所(KSI)では、実際に気候変動に関わるお仕事をされている方や、非営利セクターで働く方、複業など多様な働き方を実践されている方に現在のキャリアに至るまでのストーリーや、楽しさや難しさなどをお聞きしています。
今回は、人・組織・社会の変容デザイン事務所innovate with代表の川端元維さんに、会社員時代から続けていた複業についてお聞きしました。複業をスキルアップや人的ネットワーク構築の機会としても活用し、今の仕事につなげきた川端さん。これから複業を始める方から、ベテラン複業家までキャリア形成のヒントになるお話が満載です。
未来を創る仕事への起点となった国際協力NGOとの出会い
現在のお仕事と複業を始めたきっかけを教えてください。
現在は、まだつながっていない人と企業、コト、情報などをつなぐ仕事をしています。
具体的には、世の中の課題解決のためにお金を出したい財団や企業と、スタートアップやNPO等をつないで、未来を創る事業やプロジェクトをつくる仕事です。また、自分で何かやりたい人が、実際に実行に移すまでの起業家精神の育成も行っています。
大学生の時に国際協力を行うNGOで関西のリーダーをしていました。日本人学生に海外ボランティア活動を紹介し、海外の方には日本の地方ボランティア活動を紹介して地域の困りごとの解決を行っていく活動です。大学4年生の時には、外資系金融企業の社員ボランティアのコーディネートを行いました。その時に、京都の山の中で共通体験を行う中で、お互いの価値やみている世界を分かり合える出来事があったのです。
2000年代初めは、国際協力NGOと外資系金融企業が出会う機会は少なかったと思います。その時に、“つながっていない人や企業が、つながる経験を行うことで、一緒の方向へ向かっていけるのではないのかな”というインスピレーションを感じました。
つながっていない人やコトをつないで、誰も見たことがない未来を創る仕事がしたいなと、暗黙知として持っていたのです。それが、今の事業とつながっています。
日本では2003年がCSR元年と言われ、企業がCSR活動に力を入れ始めた時期です。川端さんは早くから社会課題解決に関わる活動を始めていますが、NGOと出会うきっかけは何だったのですか?
大学時代のある出来事がきっかけです。大学受験で燃え尽き症候群となり、しばらくは主体的な行動を起こせませんでした。ある意識高い系の同級生にそのことを指摘され、刺激を受けて「人生で何かをつかみたい」と思うようになったのです。そこで、大学で紹介されていた夏休みのボランティアの中で、経費が安く参加しやすい国際協力NGOの海外ボランティアを見つけ、フランスでの遺跡修復活動に申し込んだのです。海外に関心があったことも理由でした。
NGO活動に、イベント参加だけでなく一歩踏み込んで活動を始めたのはなぜだったのですか?
フランスのボランティアでは、社会問題に関心があるヨーロッパの若者たちと、毎晩語り合いました。そこから、「自分は自分の人生を何に使いたいのかな」と真剣に考えるようになったんです。また、一人の人間がこんなに意識を変えることができるのであれば、以前の無気力状態だった自分のような人に伝えられたらステキなのではと思いました。だから、“もっとこのNGOの活動に踏み込むとおもしろいんじゃないか”と直感的に思ったんです。
手伝いたいと手を挙げたら、人不足だったこともあり即戦力化されて、いつのまにか西日本の事務局として理事のような立場で動いていました。自分の原体験とつながってコミットして、赤字から黒字に転換することもできたんです。
複業をスキルアップの場としても活用
企業で働きながらNGO活動とは、どのように両立していたんですか?
就職したのは世界中に拠点があり、地域の雇用を創るというミッションも掲げる部品メーカーです。海外で研修に参加した後、1年間は工場勤務となりました。工場配属になってから、NGO活動を再開しました。工場が静岡で、NGOの拠点は関西でしたが、リモートで土日の会議に参加したり、新幹線や高速バスに乗って駆けつけて学生リーダーの育成やトレーニングを行ったりしていました。
複業を続けられたエネルギーは、どこから湧いてきたのでしょう?
NGO活動を続けていた理由は2つあります。キャリアへの焦りと、課題解決の仕事を創りたいと考えていたことです。
特に大きな企業の中では自分の裁量は限られるため、「自分で動く」感覚が鈍っている焦りがありました。自分の頭とセンスを動かしてかしておきたいと思ったんです。また、まだつながっていない人とコトをつなぐような仕事は周りにないし、求人サイトで探しても存在しないカテゴリーです。自分で創る必要がありました。それを行うためにNGO活動を再開しました。
チャンスがなければ外で経験しようと外に目を向けたんですね。その後も複業は続けたのでしょうか?
ずっと複業的なことはやっていましたね。
社会人2年目の終わりに、学校法人に出向となり、忙しくなってNGO活動は卒業しましたが、別の活動を始めました。夏休みが1か月ほどあったので、アメリカのNPOが行うソーシャルイノベーションの研修に参加したんです。世界中からNPO・NGOが集まる環境で、リーダーシップトレーニングを受けて、インターンとして受講生のフォローアップインタビューや企画等を行いました。そこで、若手社会人向けの研修コンテンツ企画を思いつき、事業化してマーケティングまでやってみたのです。それが次の複業になりました。
25歳の頃で、自分で何かを創ることに飢えていたんだと思います。周囲から言われたのではなく、自分からやってみたいと思ったんです。
複業の大変さとしては、どのようなことがありますか?
体力的な問題やキャパシティのコントロールがあります。
特に20代の時は、キャリア形成も視野にいれて複業を考えていたので、派手なことをやって実績を出したいという思いもありました。夜間と土日に活動を詰め込み、月曜日はふらふらしながら会社に出勤していた時期もあります。アメリカのNPOと行った研修企画の仕事も、マーケティングの難易度が高く、コミットが必要なため、かなりハードなものでした。
人と地球のサステナビリティを大切にする社会へ
企業での仕事と並行した複業を通してスキルアップした後、独立して現在の起業家や新規事業立ち上げの支援をするお仕事を始められたんですね。今後のキャリアビジョンについて聞かせてください
独立して今年で7期目です。つながってない人やコト、情報をつないで変化を出すことは微力ながらできてきたかと思っています。今後は、株主至上主義型の資本主義の次のパラダイムを創る人になりたい、と考えています。株主利益を短期的に最大化するのではなく、人と地球のサステナビリティや環境や文化を大切にする社会を創りたいのです。人や地域の健康を犠牲にして事業を成長させるではなく、健全に継続することを優先し、長期的に利益を出していく。そのために、海外の大学院で同じ目線でピュアに話せる人たちと学ぶことを考えています。
再び暗黙知を形式知に変えるフェーズですね。ビジネス経験があるからこその説得力もお持ちなのではないでしょうか。
昨年、外資金融企業の支社長レベルの方とご一緒する機会があり、今のようなお話をしたときに、可能性を感じていただいたんです。20代前半であれば、「元気な若者が頑張っているな」という評価だったかもしれません。30代半ばとなり、年齢を重ねキャリアを重ねることで信頼を得られるのはいいものだと感じます。ただ、このような信頼はすぐには得られません。相手の課題を理解して成果を出すことの積み重ねです。
それを加速させる器として複業があるのではないかと思います。まるで自分で自分を人事異動させるように、キャリアの可能性を広げることができると思います。
生活や仕事の中で感じる、サステナビリティ
身近な視点でいうと、自分自身と家族の健康の大切さ、well-beingです。そのことに気づく人が増えたのかなという肌感覚があります。スタートアップやNGOで働く人でも、「スタッフが燃え尽きることなく運営できるか」に気づく人が増えてきたと思います。
経済や社会の前提である健康を大切に、いかに楽しく仕事も成長させていくか。新しい経済の廻し方を僕らの時代から創っていけるか、という問いをもらっているような気がします。
-
川端 元維 (人・組織・社会の変容デザイン事務所 innovate with 代表)
70社以上の創業支援、20社以上の事業開発支援、4,000名以上の起業を志す個人への支援プログラム提供実績を持つ。起業家精神のパーソナル・コーチング「PLAY!」コーチ。
認定NPO法人ETIC. クリエイティブシティ事業部 /TOKYO STARTUP GATEWAYコーディネーター、Kyoto Startup Summer School guest lecturer、一般社団法人アショカジャパン ユースベンチャープログラム審査員、北海道・札幌の若者創業支援事業 moctecoメンター、F.I.A. Adventure School Canada/Toronto修了、Europe Youth Foundation助成 国際市民育成ファシリテーター養成事業Longterm Training Course修了。